BAL株式会社|運動指導者の「次」を創る
友達にガチの「旅人」がいてさ
2024/09/23
==========
こちらの文章はBAL代表のミナミが毎日送らせて頂いている
メルマガより配信したもの(2024年3月5日)を転載しております
メルマガのご登録はコチラより
https://minami-mail.hp.peraichi.com
==========
こんにちは、ミナミです
さて、つい一昨日まで
FACE to HEALTHのキャンペーンをやっていたのも
もはや遠い昔のことだったんじゃないかと
いうくらいに、BAL社内はちょっとだけ
ほんのちょっとだけですけども
落ち着いた空気が流れておりまして
完全にそれは勘違いで実際には
今この文章を書いている現時点も
「やらなくてはいけないこと」
が山積みではあるんですけれども
とはいえ、あくまでこのメルマガは
基本的に普段からご覧頂ている方に有益な情報を届けることと
僕自身のその時書きたいことをミックスしてお届けしているので
今日に関しては、ちょっとだけ心に余裕があるので
僕の今書きたいこととというか、思うことを
つらつら書いて行こうと思うんですけれども
僕の友人に、永遠に世界を旅していて
その国その国で自分の出来ることをして稼いで
その国その国で楽しめる何かをするとゆう
その名に恥じない「旅人」のような生活をしてる奴がいて
実は彼女は
あ、そうです。この人は女性なんですけれども
もうこの数行を読むだけでたくましいじゃないですか
僕はそんな彼女の思想に近い生き方が気に入っていて
BALに今誘ってるんですけれども
で、連絡を取り合っていると
「たまに迷走・迷子になりかける」
ということを昨日かな、そんな連絡をしてきてて
そういう生活をすること、皆さんはどう思いますか??
「いつまでもそんなフラフラして」
とかって思う人もいると思うんですけれども
僕の考え方は
「半分それでよくて、もう半分は変えた方が良いんじゃないか」
と思っているんですね
いや、僕も今年で36歳という
一般的には完全に「大人」の年齢になっていて
社会的な責任を感じつつ日々仕事をしてるわけですけれども
僕の人生についてはこれまでもタイミングで色々書いてきてるし
自己紹介用に何年か前に作って、今でも渡してる年表でも
(相変わらずこれもLINE公式に連絡くれれば配布しています)
書いてますけども
まぁ、一般的な人生とはだいぶかけ離れてると自分でも思います
が、じゃあ実際のところその時のことを思い出せるかって言ったら
もうあんまり鮮明には思い出せない感じもするんですよね
変な話ですけど、落差が凄くて
月収が数千万円を超えた時期から
逆にお金に困ってヤ〇ザに追われてた時期まで
どっちも経験してきた身としては
もちろん、教訓としては自分の中にあるものの
もう、一瞬一瞬の出来事についてはあまり思い出せないってゆう
え、皆さんどうですか??
きっと楽しいこともつらいことも色々あった中で
もうそれを鮮明に思い出すことって難しくないですか??
まぁ、それは人体を学んでいる皆さんであれば自明のこと
だとは思うんですけども
当然のことながら、人間の記憶っていうのは
再生可能な貯蔵物質があるとか
何かアーカイブ的な形があるとか
そういう記憶物質みたいなものは存在しないじゃないですか
生物体内の全ての物質っていうのは高速の代謝回転で
絶え間なく分解されているので
当然、記憶が物質レベルで保存されていることはあり得ないわけで
じゃあ、記憶ってなんのかって言ったら
脳細胞の回路に電気が流されて記憶が再現されているわけですけど
脳細胞の回路は細胞の常として絶えず再編されてるだけなので
かつて流れていた場所の「このあたりかな?」という
周辺を電気が流れているだけ
つまり、昔の記憶がそのまま再現されているわけではなく
その瞬間瞬間で新たに作られるもので
蓄積されたものが蘇るのではないと考えるのがベターであると
もちろん、生物学的には「情報が消えること」に意味があって
いつまでも変わらず残ってしまうと「情報」にならないわけで
ある信号が出現して、消えるからこそ次の反応や行動を
呼び起こすからこそ「情報」なわけですけれども
それは、ずっと同じ匂いを嗅いでると感じなくなることだったり
例えば、人間の口の中も本当は薄い塩味というか血液の味がするはずだけど
それは感知されないで
何かを食べたときの増えた分や減った分の「差分」だけが感知されるわけで
要するに、生命の中の情報は絶えず動いてるし
記憶もその都度作られているという意味で動いてるわけで
なんだか好き勝手書かせてもらってますけれども
要するに「人の記憶なんてあてにならない」
し、仮にもの凄く楽しかったことをしたとしても
「その記憶を鮮明に保持することは出来ない」
だから、人は何でも写真におさめておきたいってゆうのは
「どこかにつなぎ留めておきたい」みたいな欲求が
自然と働くんだと思うんですけども
で、結局何が言いたいのかっていうと
どうせ、人間の構造として覚えてられないんだとすれば
「その時その時で、ベストなチョイスをするしかない」
ってゆう、この「ベストなチョイス」の基準は
人によって違うんだと思いますけれども
僕にとってはその基準は明確で
「面白いかどうか」で
「その時その時、一番"面白い選択をすること"」
が、僕自身にとっての幸せなんじゃないかなと思うわけです
そういう意味で、さっき挙げた僕の友人に対して
「半分それでよくて、もう半分は変えた方が良いんじゃないか」
っていうのの前半半分はそれで良いと思うんですね
じゃあ、後半半分についてどう思っているかって
「積み上げた先にしか、見れない世界がある」
ということを、僕自身の経験からは思っていて
それは事業でも何でもそうなんだろうけども
「5年後も、10年後も、今と変わらない生活をしている」
という発想を否定する気もないけども
積み上げた先でしか出会えない人や出来事っていうのは
確実にあることを分かっていて
変な話ですけれども、沖縄でジムを始めた7年前と
今現時点での僕ではだいぶ状況が違くて
「今現時点での僕」でなければ出会えない人や出来ないこと
は沢山あって、これは積み上げてきたものが
それを可能にしているんだと思うんですね
これは今の会社の一つ前にやってた会社でも
同じことを経験していて、それを感じた時に
「あ、ちょっとステージ変わったな」とかってゆう
変化を感じることが出来るわけですけれども
ただ、そうやって「積み上げていく」のにも
「どの方向に積み上げるのか」という話があると思っていて
「半分それでよくて、もう半分は変えた方が良いんじゃないか」
って僕が思うのは、その瞬間で面白いと思うことをやるのは
僕も賛成だし、でも、そこに目標があって
その目標に向かって積み上げていくと
またその「面白さ」のレベルも上がってくるといいますか
ある程度積み上げていくと、他の誰かの積み上げてきたものと
掛け合わせることが出来たりするんですよね
と考えると、僕ももうちょっと若い時は
「面白いことは何でもやりたい!!」
ってゆうテンションでしたけど、そういう意味で
「面白いことをする」という前提の上で
「方向性」のベクトルが合っているかどうか
ってゆう、流石にちょっとだけ大人になった感じがするとゆう
まぁ、あくまで個人的な意見ですので
皆さんがどう考えるかはまた別問題ですけれども
まぁでも、一般的に大事とされるもの
経験とか、知識とか、投資とか
そういうのっていうのは何でも
積み重ねが前提としてあるものばっかりなので
結局、若い時に「場当たり的」に考えて動いてたとすれば
どこかではそういう発想が必要なんじゃないかな
ってゆう、マジでつらつら書いて行きましたけども
まぁでも、またBALでは今後もどんどん新たなコンテンツを
出していく準備が着々と進められておりますので
たまにはこんな内容も一つ収めて頂ければとm(__)m
ではでは
ミナミ
///////////////////////////////////////